”バスルーム”の歴史編

こんにちは。営業事務の渡辺です。今、私が気になっているネット上の話題は「ドケルバン病」です。」何となくとても恐ろしい病気のようですが、実は親指を伸ばす「けん」の「腱鞘炎」のことで、手首の痛みや腫れが主な症状で、手をよく使う人、妊婦さん、出産期の女性などがかかりやすいとされているそうです。悪化すると手が動かなくなってしまうこともあるようなので、心当たりのある方で不安な方は一度,受診されてみてはいかがでしょか。

バスルーム 歴史編

”バスルーム”の始まり

話は変わりますが、前回は”トイレの歴史と進化”についてコラムしました。今回は”バスルームの歴史編”、次回は”バスルームの進化編”をコラムしたいと思います。日本人の入浴の歴史はとても古く6世紀で仏教の伝来とともに中国から伝わったとされ仏教では入浴することは病を取り除き、幸福がえられると説いたそうです。当時の入浴は「蒸し風呂(サウナ形式)」と「湯(現代の入浴に近いもの)」の2種類があったようです。寺院では「浴堂」を備えて庶民に入浴を施したとされています。平安時代末には「銭湯」の走りの「湯屋」が京都に登場し、奈良時代に始まった施浴の習慣は鎌倉、室町時代になると「町湯」=初代銭湯が建てられ貴族などは入浴設備を建て接待として宴会と「風呂ふるまい」で贅の限りを尽くしたと言われ、また入浴施設がない貴族も「町湯」を借り切っての「宴会」=「留風呂」を楽しんだと言われています。この頃から日本独自の「入浴文化」がはじまるのです。「銭湯」が広まりだしたのは江戸時代で、一般庶民も「銭湯」を楽しむようになりました。この頃の「銭湯」は「戸棚風呂」という「蒸し風呂」で、半身浴のようなものでした。「内風呂」はまだ上級武士にしかありませんでした。しばらくすると「据え風呂」=肩までつかる形式のもの、「五右衛門風呂」=薪を燃やして風呂釜を直接あたためる形式がうまれました。

バスルーム 歴史編

”バスルーム”=「銭湯」

江戸時代の「銭湯」は朝から午後4時頃までの営業で、流行に敏感な江戸っ子の唯一の交流場であったようで、様々な銭湯文化がうまれました。こうして日本では「入浴」という習慣が一般庶民の間に根付き世界に類を見ない「風呂好き国民」となっていくのです。   ちなみに江戸時代の「銭湯」は”混浴”が多かったようで、黒船に乗って日本に来たぺりーも「混浴」文化には困惑したと「ぺりー艦隊日本遠征記」にしるしています。

バスルーム 歴史編

明治時代から昭和の「銭湯」

明治維新の後、新政府の「市民平等」によって武士が平民になり「銭湯」の利用者が急激に増加しました。「銭湯」は「蒸し風呂」をやめて浴槽を板の間に沈めてお湯をたっぷりはり、洗い場を広くして天井を高くし開放的で清潔な「銭湯」にかわっていきました。=「改良風呂」と呼ばれました。大正時代になるとさらに「進化」し板張りの洗い場、浴槽はタイル張りになります。そして、水道が普及すると浴室に水道式のカラン(蛇口)が取り付られ便利で衛生的に「進化」していきました。明治時代が終わり昭和となりそれから戦後の高度成長期を向かえると、欧米文化が浸透し住宅の「進化」とともに「内風呂」が普及していき「風呂」付きの団地が大量にたてられ、「内風呂」が一般化していきました。

バスルーム 歴史編

現代の「バスルーム」の始まり

現在では、半身浴やアロマ等家庭での「入浴」に工夫をこらし楽しんでいる人も多く、解放感を楽しめる「銭湯」、「スーパー銭湯」などができ、日本の”バスルーム”はさらに「進化」し続けています。ということで、次回は”最新のバスルーム”をコラムします。リフォームの参考にして頂けると嬉しく思います。

OFURO REKISI